沿 革
当区医師会は、明治時代から東灘区の医療を担う医師達が協力し、
制度の改正にしたがって明治時代の武庫郡医師会から変遷を遂げてまいりました。
●前武庫郡医師会(明治15年~明治39年)
武庫郡医師組合が設立され、これが東灘区医師会の前身であると言われています。
●武庫郡医師会(明治39年~昭和22年)
医師会規則が制定され、武庫郡医師会が設立されました。
昭和2年 | 東灘区に該当する地域の人口は5万人余りで、医師会員数は5名でした。 |
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昭和17年 | 戦争の激化により医師会員は各地区別に救護班を組織し、警戒警報が発令されると会員が参集していました。 |
昭和20年 | 御影公会堂が被災。焼夷弾攻撃により御影の救護班本部は焼失。 空襲は8月6日まで続きました。 |
●社団法人武庫郡医師会(昭和22年~昭和29年)
社団法人武庫郡医師会が設立されました。
昭和22年 | 会員数は109名で、そのうち東灘区に該当する地域の会員は77名でした。 |
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昭和25年 | 御影町・魚崎町・住吉村・本庄町・本山村が神戸市に編入され、東灘区ができました。 この時から、武庫郡医師会は東灘区地域医師会とも呼ばれるようになりました。 |
●東灘区医師会(昭和29年~平成24年)
武庫郡は消滅し、東灘区医師会として発足しました。
昭和44年 | 現在の医師会館(当時は神戸市医師会東灘分館)が完成。 |
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昭和45年 | 会員数は153名でした。 |
昭和46年 | 「東灘区医師会 休日急病電話相談所」が開設され、平成26年まで活動が続けられました。 |
昭和55年 | 現在も続く「区民健康講座」が始まりました。 |
平成05年 | 「地域医療シンポジウム」の前身、「在宅医療シンポジウム」が始まりました。 |
平成07年 | 阪神・淡路大震災勃発。会員は協力して、地域住民への医療提供体制の確保を最優先に、 様々な医療福祉活動に出務しました。 |
平成13年 | 医師会主催の「病診連携学術集談会」が始まりました。 |
●神戸市東灘区医師会(平成24年~)
法改正により、神戸市東灘区医師会となりました。